純恋歌の考察 その1

度々このブログの中でも物議を醸している伝説の名曲を、どうしても解剖したかったから書きます。というのも、私が生きてきた24年間とこの歌の世界観はあまりにズレがあって、この歌の真髄はそのズレをいちいち修復しないと見えてこないのかなと思って、自分なりに咀嚼する事で名曲を名曲と感じ広い視野で世界を見ようじゃないかと、そういうことです。かっこつけて言いましたが要は「湘南地区の若者の恋愛を理解する」こと、そういうことです。

 

【億千の星と一番光るお前の考察】

まず「目を閉じる」というのは物理的なものではなく深層心理を揶揄するものだという解釈をしている。「心の中に億千の星が見えるけれど、お前が一番輝いているよ」ということである。そうなると「億千の星」は、世に生きる他の女性を意味する事が分かる。「世の中の他の女よりもお前が一番輝いてるよ」というなんともロマンチックな歌詞のように思えるが、ここでの懸念は「心の中に何人も女がいてその中でお前が一番」と言っているところである。相対評価なのはまあ仕方がないけれど、心の中にいつも他の女が存在していること、「お前しか見えない」という訳ではないのは少し生々しくて寂しい。その後の「初めて一途になれたよ」という歌詞から、「まあ浮気をしたりしたこともあったよ」という衝撃の告白とそれを棚に上げた改心宣言。それらを加味すると「色んな女を見てきたけども今はお前が一番輝いてるわ」というなんともペラペラなイマドキ恋愛に成り下がってしまうのである。そんな浅瀬で戯れているような気持ちを壮大な夜空に比喩して美談にしてしまうから、この男は侮れない。

 

【パスタの考察】

この歌で一番重要なキーワード、「パスタ」。最も物議を醸していると言っても過言ではない。

まず「お前」は「大親友の彼女のツレ」なので、友人の紹介で出会ったことが読み取れる。そしてパスタを作ったということは大親友かその彼女の家で会ったのだろうと思う。いきなり初対面の女性の家のいうのはいささか現実的ではない。ということは、パスタの作者は家主ではないのである。「お前」が他人の台所を借りて調理をしたのである。こういう時はだいたい、「アーシ料理けっこうするから作るワ」としゃしゃったのだと思う。そして「俺」と「お前」をくっつけたい「大親友の彼女」が、「リサ(私の中で勝手にお前=リサなのである、悪しからず)意外と家庭的だもんね~料理うまいよね~」とか焚きつけたのである。罪深い。「アーシ料理けっこうする」という女はだいたいパスタしか作れない。下手したらカレーも作れない。あとレタスちぎってミニトマト乗っけてサラダ「作った」とか言う。まあそんな感じでパスタを作った「お前」である。まあ美味しかったのだろう。「美味しいパスタ」と言っているし。そこで、その美味しいパスタを作ったごときで「家庭的」だと思ってしまう「俺」の生い立ちが浮き彫りになる。幼少期から母の愛情こもった手料理を食べてきた人は、作れる作れないは別として、「パスタは結構簡単な料理である」という事が分かっている。分かんない、白ワインでフランベとかしちゃったりしたらマジスゲー料理の腕だし家庭的の域を超えているけれど、多分「アーシ料理けっこうする」とか言って他人の台所を占領する女はフランベの意味を知らない。多分だけど、明太子和えて大葉と海苔乗せたやつ。まあ話を戻すけれども、少なくとも我が家は「今日は時間なかったからパスタね」「今日は料理めんどくさかったからパスタね」と割とサボり料理のひとつだったし、世論も結構そうだと思う。一人暮らしを始めた男子が最初にチャレンジするのもたいがいパスタである。そんなお手頃料理「パスタ」で、「ああこの子は料理が出来るんだ、家庭的だなあ」と思ってしまう「俺」の家庭環境を考えると、なんだか胸が締め付けられて、抱きしめてあげたくなる。これが母性なのだろう。あ、手土産で手作りパスタ持ってきたとしたらそれはそれで家庭的なのかもな、ありがた迷惑ではあるけれども。

この次、この次が一番謎。前回の記事にも書いたけれど、パスタを作る段階は一般的に、初めましてをして、自己紹介や他己紹介をして、共通の趣味とか学生時代の話とかして、ある程度盛り上がって、もうこんな時間だね何か食べよう、となって、パスタ、なのだと思う。多分ここまで正味1時間半。そしてパスタ制作に30分かかったとする。そしたら2時間。そして一口食べて、うまい→家庭的→一目惚れの流れとなっている。が、ここ。ここが最大の謎である。私の知るに「一目惚れ」は、「一目見て好きになってしまう」ことである。そうなると出会って概算2時間経っている時点で本来は「一目惚れ」ではない。この点に於いては、パスタを食べるという過程を経て、美味しいパスタを作ることが出来る、「家庭的であるという要素を持った彼女」に一目惚れをしたのでは、と考察する。彼の中で「家庭的である」ということのポイントがあまりに高いのだと思う。パスタ食べるまでの2時間は、ほ~んまあ可愛いんちゃう?くらいだったのが、パスタ登場→食べる→美味しい→家庭的やんけ!→めっちゃ可愛く見えてきた!→好き!と彼の中の感情が大きく揺れたのである。忙しい奴だな。普通の人がオプションとして捉え「あったらいいな」くらいに思う「家庭的要素」に比重を置く彼にとっての真の一目ぼれの瞬間が、まさにパスタだったのである。普通に居酒屋とかで出会ってたら実らなかったかもしれない恋だったんだなあと思うとディスティニーが過ぎる。

 

大貧民の考察】

美味しいパスタ食べた後にトランプをするというあまりに可愛い時間の使い方なのはまあ置いておいて、大貧民ごときでマジギレするのも美味しいパスタすら作ることが出来ない母を持った家庭環境から感情の振り幅が分からなくなってしまっているのかもとか思えばまあ合点だとして、問題はマジギレしている「俺」を見て「楽しいね」という感情が沸く「お前」のサイコパス性と、そんな「お前」を見てベタ惚れする「俺」の恋愛スイッチである。初対面の大の男が大貧民でマジギレしていたら、私だったら普通に引く。「マジギレ」って、四肢を振り乱したり大声出したり、最悪の場合物を壊したり人を殴ったりするアレを想像しているけれど、だとすると結構軽蔑する。それを優しくなだめたりするならばまだ分かる。けれど彼女は「楽しいね」と言っている。楽しい???大の男が六畳一間で大暴れしてるのが楽しい???きっと「楽しい」と思うには理由があって、彼女が楽しいと思っている理由は、マジギレの事実ではなく、「マジギレするに至った理由」にあるのではと思う。

考察として、単純に、マジギレの理由が彼女なのだと思う。大前提として、彼女はどちらかというとSである。「俺」の隣に座っていた彼女は、スペード縛りとか革命起こしたりとかここぞでジョーカー出したりとか、地味にいらっとくる事を結構したのだろう。じわじわ苦しめて楽しんでいたのだろう。とんだ悪魔である。案の条「俺」は負け、予想通り不機嫌になる彼。自分で組み立てたストーリーなら、そりゃ沸き出る感想は「楽しい」である。そして彼も彼で割とMなのだ。先程一目惚れをして好意を持ち始めた女性からじわじわ責められるのは心中まんざらでもなかっただろう。けれどプライドの高い湘南の男にとってどんな勝負でも負けるのは悔しい。特に彼は家庭環境が災いして、今まで強がり虚勢を張り周囲に牙をむいて生きてきたのだろう。そして湘南の男の感情は割と全振りなところがあるから思わずマジギレもしちゃう。そんな自分じゃいけないことも分かってる。けれど正しい感情の出し方が分からないのだ。教えてくれるような親ではないのだから。強がって、女は従えるものだとか思っていた亭主関白的俺は、生まれて初めて女性に弄ばれ、恐れられていた自身の暴力性を「楽しいね」とあしらう女性に出会ったのである。自分でも知らなかった自身のMな性癖の覚醒の瞬間である。SとMの合致ほど直線距離で距離が縮まるものはない。いかんせん感情が全振りな湘南の男。ベタ惚れである。

彼女、彼の性格を分かった上で惚れさせる為にわざとキレさせたのだとしたら、なんたる悪女である。

ちなみに私は勝手に

俺→ケンジ

お前→リサ

と名付けている。ケンジはEXILEのアツシをリスペクトしているし、赤黄色緑のラブ&ピースのマークが車のバックミラーにぶら下がっている。車は黒の四駆で車高が高い。成人式は袴(けれど黒とかわりとシックなやつ)。中学の時に初めて向き合ってくれた大人、担任のおばちゃん先生を恩師と慕う。車の整備士をしている。初任給で恩師に花とか買っちゃう。リサは中学の時はココルルが好きだったし今はDURASとかが好き。家は結構金持ち。両親とは意外と仲が良くて「パパ、ママ」と呼ぶ。地毛も割と茶色い。それを中1の時に生徒指導のジジイに疑われて中3から生意気とか言われて、ちょっとグレた。黒地にピンクのバラと蝶々の浴衣とか着る。加藤ミリヤとかE-girlsが好きだけど、意外とback numberとかも好き。

 

 

予想外に長くなった上に半分しか書けなかったから、2回に分けますね。分ける程の内容じゃないけれども。

次回、【嬉しくてスキップ、という感情直結型】から考察を始めます。ご精読ありがとう。