大人、子供、中学生、普通の子

中学生は人生で一番不安定で多感で、人生で初めて大きな障害に直面し、自答し乗り越え、大きなものを得たり失ったりする。その3年間で世界は驚くほど広がって、人生で一番感情が揺れ動く。とにかく何かを求めて、持てるだけの全ての感情をフル稼働させながら生きている。その姿はとても美しいのだ。

 

私は重松清の「エイジ」という作品がとても好きで表紙がなくなるくらい肌身離さず愛したリアルに愛読書なのだが、なぜそんなに好きかというと、なんてことない中学校生活を生々しく、子供たちの成長を分かりやすく、私達に一番馴染む形の文章で伝えてくれるからなのだ。赤・青・黄色、みたいな、思考ではなく本能に訴えかける色をしているのだ。そんな直球な文なのに、言葉にできないような多感な中学生の心情を、的確すぎる表現で繊細に優しく書き起こすのだ。そんな天才なのだ、重松清は。

あと私がなぜ重松清が好きかというと、「普通の子」にスポットを当てる天才だからなのである。その分かりやすい例が「エイジ」である。優等生も問題児も、意味は違えどいつも先生の目下にいて、いつだってスポットが当たる所にいる。「普通の子」はどうしたって一番「手のかからないいい子」なのだ。そして自分たち自身も「普通の子」でいなければならないと自身に圧をかけて、実は一番、いろんなものに耐えて張りつめて生きているのだ。「糸でも何でも、たるんでるうちはキレないんですけどね」というセリフが確かあって、私はその言葉にはっとさせられたまま、今日まで生きてきた。「普通の子」は、たるむ事すら許されないのだ。いつだって人知れず心を張りつめて張りつめて、だからとうとう、キレてしまう。そんな大人になりきれない「いい子」のリアルが生々しくて、とてもいい。

ところで「カサブタ」という曲があって、繊細な彼らの感情はその曲によく描かれているなあと思いながら私は聴いている。私は今23歳で、過去に中学生だった経験のある人間で、そんな私の心は、

「せめてふがいない僕らの自由の実を切り取らないで」

という表現に、胸が締め付けられそうになる。

 

大人はなぜか子供の事を、中学生になった途端に都合よく大人扱いする。そして都合よく子供扱いする。子供なのだからと縛り付けながらももう大人なのだからとつま弾いたりする。そうして不安定に弄ばれて、自由を失い、やり場のない感情は、生まれる。その感情を、「普通の子」は必死にしまい込む。大人がそうさせるから。無意識のうちに大人から、「感情を隠す」術を学んでしまうのだろうなあ。中学生の周りにいる大人は汚いなあと、大人と言われる年齢になった今でも、私は思う。もちろん一概には言えないけれど、そういった中学生の不安定な部分を助長させるような不安定な扱いは、繊細な彼らの心を翻弄しているだけなのだと、私は、思う。

一番大人になりたくて、大人ぶりたくて、けれどまだまだ大人にはなれない事も分かっていて、そんな年頃の彼らがもがいたり悩んだりする中で、たるんだりキレてしまうことを、大人はもっと許してあげてほしい。湧き上がる感情を、自由に扱う事を許してほしい。なんで世の中学生代表みたいなこと言ってるんだろう私は。もう立派なババアなのに恥ずかしいや。

 

先日久しぶりに、本当に久しぶりにエイジを読んだら、なんだか胸の真ん中の奥の方が熱くなったので、こんなことを書いてみました。

エイジくんは描かれている描写以上にかっこよくて素敵な男子だと思うのだ私は。きっと菊池風磨くんみたいな子なんだろうなあと想像しながら読んでいる。きもい