美しい名前

突然だけれども私の苗字はとてもありふれていて全国17位だから18位だか21位だかなんかそんな感じの苗字なのだけれど、名前の方は珍しくはないながらにもそんなにありふれてはいなくて、同じ名前の人に出会うことはほとんどない。私は幼少期、その名前が嫌いだった。そんな話

よく聞く名前や漢字を使ったかっこいい字面に、私は憧れていた。ひらがなで聞き馴染みもない私の名前を、私は嫌いだった。名前の総画数が12画しかないのも、なんだかスキマだらけでカッコ悪いと思っていた。自分の子供には漢字の普通の名前をつけようと、心に決めていた時期もあった。
いつだか、自分でもいつからか分からないほどにすぐ、そして意識などせずに、自分の名前に対するコンプレックスは消えた。

 

苗字がありきたりなことや、私のキャラなど、色々な要因があるのだと思うけれど、私は昔からいつもどんなコミュニティでも、名前の方で呼ばれることが多かった。名前で呼ばれることで私は私の名前を軽率に好きになったし、先輩や上司など苗字が然るべき相手にも名前で呼んでもらえるのは、私の名前がありふれたものではないから、名前呼びが自然でそこに流動性があるから、そんな名前だからなのだろうな、と思う。私は妙に名前呼びをされることが多いなと気づいた頃には、私は私の名前が悪くないと思っていた。
学校でもサークルでも職場でも、友達も先輩も後輩も同期も上司も、初対面の人でさえ、私のことを基本的に名前で呼ぶ。名前で呼ぶことに抵抗のない私のハードルの低さだったりその呼びやすい名前そのものだったり名前の語感だったりを、今では私はそれを自分の強みだと思っている。自分の名前を嫌いだと思っていた幼少期の私よ、あなたの名前は素晴らしい。

 

今日、私の好きな作家さんのサイン会に行った。私のフルネームをサインに添えて書いてくれた時、「芸名みたい、綺麗な名前ですね。あなたによく似合っていると思います」と言ってもらえた。日本語のプロに名前を美しいと言われて更にはそれが大好きな作家さんということに、私の心はすべからくとして大きく震えた。シンプルに私は自分の名前を気に入っているので、嬉しく思ったし誇らしく思ったし、なんというか、そんな今日のできごとを記しておきたかった。

 

一生付き合っていく名前を好きだと思えているのは幸せなのだとシンプルに思う。
「名前を呼ぶ という行為はとても美しいのだ」

と作られた曲があって、私はなんとなく今日その歌を聴いて総武線に乗った。
今頃気づいたんだ、君のその名前が、とても美しいということ
という歌詞が、とても染みた。