キャッチはなぜ傲慢で自分本意なのかというただの疑問

初対面の時、名前を聞きたいならまず自分から名乗るのだと私は教わった。自分が好きになったのだから自分からアプローチをしないと付き合えないのが恋愛だと、そう思っている。自分がどうにかしたい事は自分から働きかけなければならないのだ。それが世の常識だと、少なくとも私は思うのだ。

そんな教育を受けてきた私なので、街にいるキャッチはなぜこうも非常識なんだと思っている。用があって声を掛けてきたのはそっちなのに、なぜこっちが足を止めなければならないのか。話したい事があるならこちらの歩行に並行しながら話すのが筋なのでは?と思う。

そもそも中学1年の時、国語の先生(ゲロクソ怖いババア。だけど正しい事しか言わないからぐうの音も出ないみたいな人)に授業のあと質問しようとしたら同じことを言われて、確かになって思って国語研究室までの道のりを早歩きで「るれるれられ」とか言いながら質問したあの時から、私はこの疑問を抱いて生きている。あのおばさん怖かったけど、今思うと本当に為になる事しか教えない素晴らしい人だったなあ。くそみたいに怖かったけど。

 

本当に話を聞いてほしかったり興味を持ってほしかったら、もっと必死になるし相手の気持ちを汲んだり思いやったりするものなのだ。歩みを止められなかったくらいで諦めてしまう程いい加減な気持ちでキャッチをしているのだろうか。自分が聞いて欲しいのに相手の足を止めさせるほど自己中心的な気持ちで話しかけて、誰かの心に響くと思っているのか。仕事にプライドを持ってやいないのか。まあ仕事中にこんなん書いてる私に言われたくないだろうけども。そういうところなんだよ、キャッチっつーのは。そういった点に於いては改善の余地しかない。僕は今あなたにどうしてもこの話を聞いてほしいんだ、という気持ちが全く届いてこない。だから疎まれるのである。お願いしている側なのだから、もっと下手に出るべきなのである。そしたらもう少し誠意が伝わるのではと思う。これを何らかの偶然で読んでいるキャッチのお兄さんがいたら、ぜひとも参考にしてほしい。

 

声を掛けて、歩く私の横でずっと話したい事を話してくれたらよいのだ。私の時間も奪わないし下手に出ている感じがするし本気も伝わる。なぜこれを実行してはくれないのか?なぜ自分本意に傲慢に、私の足を止めようとするのか?

これが約10年もの間私が世間に抱いている不満である。あまりにくだらない。これを伝えたいがためのただの疑問と愚痴のこの記事を、許して欲しい。