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幸は分け与える事が出来るのか~アゲマンという生き方~

私は人より少しだけ、ほんの少しだけ、幸が薄い。少しだけだけどね、あくまで。小学5年から高校3年まで毎年運動会は雨だったし陸上の大会は私の試技の時だけ大雨だし引退試合の前に骨折るし誕生日に財布を落とすしその財布の中には朝もらったばかりの誕生日プレゼントのお金入ってるし1年に3回携帯無くすし携帯をマックのゴミ箱に捨てるし定期もマックのゴミ箱に捨てるし携帯をドバイ空港のトイレで水没させるしフランス旅行は5日中4日雨だし二股かけられるし(しかも私が浮気相手の方)彼氏できた直後に彼氏の異動が決まるしそれを筆頭に男運が死ぬほど悪いし第一志望の企業の最終面接の前日に気管支炎にかかって面接は一言も話せなかったし、とにかくいちいちツイてない。私は一生懸命生きているはずなのに、どうしても言動が悪い方へと作用してしまうのだ。

高校3年の時に「嫌われ松子の一生」を観た。私の話だ、と思った。この作品を観た人はなんとなく分かるだろう。そういう人生なのだ私は。とにかく報われないのだ。

 

けれど私の代わりに幸せになっている人がいる。昔からなぜかそうだった。私に不幸なことが起きると、必ず身近な人が幸せになった。気のせいだと言う人もいるし最初は私もそう思っていたけれど、1回や2回では無いのだ。会社の先輩に、「井上アゲマン説」を称えられた。お褒めにあずかり光栄だわって思ったけど少しだけバカにされてると思った。そんな私の話。

 

私は幼少期から、良くも悪くも目立つ子供だった。というか、悪い意味で目立つ子供だった。皆で悪さをしても、気付いたら「井上さんたちがやった」と、主犯にされた。長渕剛の「巡恋歌」という曲があるが、まさにその曲のような体験も、幾度とした。【こんなに好きにさせといて 「勝手に好きになった」はないでしょう】まさにこんな気分である。憤慨

そんなこんなで、死ぬほど雨が降るのも、財布を落とすのも、変な男に引っかかるのも、気管支炎も、全部「幸が薄い」で片付くのである。ぜーんぶ私が悪いのだ。そう、私は卑屈なのだ。光と陰で言ったら、圧倒的に陰なのだ。だから、光に憧れた。憧れはしたけれど、「陰日向に咲く」という言葉があって、私は結構その言葉が好きで、それが私なりの生き方で、「アゲマン」という生き方なのかなとも思う。幸を分け与えているのではない。私が陰であることで周囲が光になっているのでは、そう思うし、きっとそれが答えなのだ。私がこんなに幸が薄いから、周りのちょっとした幸せが際立つし、私がもたらしたように思えるのだろう。私は自分のそんな生き方が、結構嫌いじゃない。私は5年前から自分の事を「ロイター板」だと思って生きている。私を踏み台にして誰かが飛翔するなら、その輝く瞬間にいつも隣り合う事が出来るのだから、陰もロイター板も悪くないのだ。こんな人生を悪くないと思ってから、人に幸を与える事が出来るのかもしれないと、幸が薄いのも使いようなんだなと、そう思うようになったのだ。幸はあればあるほどいいに越したことはないけども。

 

きっと、本当は幸は人に与える事が出来ない。けれど私は、幸レベル:普通 の人よりも少しだけ多く、幸を人に分け与える事が出来る。私の側にいるだけで輝きが引き立つならば、それでよいのだ。私は幸は薄いけれど、不幸ではない。私の話しかしなかったけれど、思い当たる節がある方は察して感情移入して頂けたらよいのではと思います。

 

世のフレッシュマンたちよ、入社おめでとう

私から1つだけマジなアドバイスをさせて頂くと、己を奮い立たせようと元気の出るお気に入りの曲を聴いて通勤すると、しばらく経つとその曲がトラウマみたいになります。その曲を聴く度に入社直後の辛かった時期を細胞が思い出します。そうして私は西野カナの「GO!FOR!IT!」が聴けなくなりました。気をつけて。アーメン