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ボディクリームとハンドクリームの話

私には根本的な女子力というものが無く、化粧水も乳液も持っていないしトリートメントも使わないしなんならリンスとトリートメントとコンディショナーの違いも分からない。基本的にニベアの青缶を信頼し過信し、カサついた所は手でも顔でも身体でもなんなら痛んだ髪でも、青缶を塗りたくれば万事OKだと思っている。オシャレなブランドの、香料しか配合されてないんじゃないかそれで乾燥は防げるのかみたいな甘い香りのハンドクリームを持ち歩き、夜な夜なこれまたオシャレなブランドのボディバター(そもそもボディバターとボディクリームの違いはなんなのだ?)を大して乾燥すらしていないモチ肌に塗り、ジェラートピケを着て寝る(あとちなみに私はジェラピケを家で着る女が嫌いなのでそれはまた後ほど熱弁したい)ような、「女子オブ女子」に私は尊敬の念を抱く。

 

ちなみに私は重度の乾燥肌で、毎晩青缶を全身に塗りたくっても日中には肘がカサカサしている。そして女子力が欠如しているのでそのカサカサの肘に誕生日にもらった(自分じゃロクシタンなんて買うわけない)ハンドクリームを塗っている。私はその所作に何の疑問も抱いていなかった。抱くわけがなかった。しかし最近、どシンプルに

「え、今肘に塗った?それハンドクリームだよね?」

と言われた事で、「ハンドクリームを肘に塗るのは恥ずべき行為なのか」という疑念が降って湧いた。その件について考えるにつれて、この疑問はこのように変体した。

【肌1枚の皮で繋がっているのになぜ箇所によって使うものが変わるのか】

そりゃ、箇所によって敏感であったり使用してはならない成分があったりするのは理解できる。人間の体に生まれて23年生きたのだから、さすがに感じている。しかし、どの箇所も同じ成分で生成されているはずなのだ。必要な養分は同じであるはずなのだ。箇所によって得意不得意はあるかもしれない。けれどなにもベツモノを作らなければ補えないほどの違いはないと、私は思うのだ。

 

ところで私は中高時代、勉強が出来なかった。そもそも受験経験のない私は、勉強の仕方が分からなかったのである。なので、テスト勉強もあまりした記憶が無い。勉強をしないので、社会のような記憶を要とする、勉強しないと点に結びつかない科目はとにかく苦手だし嫌いだった。逆に、己のセンスで乗り切ることのできる国語は大得意だった。そして、勉強しなくても点が取れるから好きだった。今冷静に振り返ると、「勉強しなくても点が取れる」というのは、きっとセンスの問題だったのだと思う。私には国語のセンスがあったのだ。そして社会に関してはセンスがなかったのだ。加えて私は、走るのはまあまあ得意だったけど球技はてんでダメだった。これもセンスなのだ。

こうして人には、生まれ持った才能や、どうしたって相性の悪いものがある。けれど、私は社会が苦手だったけれど、学校は足並みを揃えた教育を施した。体育がバスケの日も嫌々参加したし、逆に国語の授業に苦手を理由に参加しなくていい人なんていなかった。得意な人も苦手な人もいっさいがっさい同じ教育を受けたのは、もちろんそれが学校という機関だからなのであるが、やろうと思えば出来るからという真意だってきっとある。どうしたって相性が悪い科目なりに、別メニューを組んで授業をしなければならないほどには出来なくないのだ。でなかったら、神奈川のそれなりな私立高校なんて通っていないのだ。みんな同じメニューで、同じ歩幅で頑張れるのだ。個人差はあれど、基盤は同じ偏差値なのだから。

 

話がぶっとんだけれど、肌だってそうだ。同じ素材で出来てるし、得意不得意はあるかもしれないけれどわざわざ違うクリームを塗らなければ保湿も保てないような落ちこぼれもいないのだ。肌はもっと自分に自信を持ったらいい。自ら逃げ道を作ってしまっているのだ。肌自身が弱いところを見せてしまうから、様々な部位のクリームが登場し、人々が困惑するのだ。これはもう大問題。戦争。憤怒

つまり今回の問いに対する自答は【肌が精神的に弱いから】である。私自身も、肌の自尊心と共に、女子力を高めていきたい。人は皆アウフヘーベンできるはずなのだ。

 

ほーら今回もまたくだらないことばっか書いて、肝心のジェラピケ女についての抗議文が書けなかったのだ。また後日書くね~!