おそ松さんから見る「卵が先か鶏が先か」理論

※童貞という言葉が390回くらい出てきます。そして今までで1番浅はかでマックス下らない。気を付けて

 

突然のカミングアウトですが、私はおそ松さんが好きだ。腐女子界で名を轟かせていることで有名なので敬遠しがちな人も多いかと思うけども、純粋にギャグ漫画としてのクオリティのクオリティが高い。普通にめちゃくちゃおもしろい。そもそもなぜ腐女子を始め女子人気が高いかと言うと、声優陣が豪華すぎることももちろん、あと何より「6つ子が可愛くて仕方なく見えてくる」のである。

本当に突然。気付いたら可愛かったのだ。初め4話目くらいまでは6人の見分けがつかなくてよく分からんなあみたいな感じで観るのだけれど、5話目くらいから見分けがつくようになって、各々の個性も分かり始めて、そうなると一気に可愛く思えるのだ。私はそうしてまんまと十四松くんの虜になったのである。CR虜なのである。ありが特大ホームランなのである。(分からない人はおそ松さん、見てちょ)

 

そもそもなぜこの兄弟が可愛く見えるのかという話である。個人的に私は、6つ子の「鈍くささ」に可愛さを見出している。見た目は皆可愛い顔をしているし(皆可愛いのは当たり前か、6つ子なのだから)、性格だってまあまあクズだけどある程度の常識や協調性、男気だってある。本当にある程度だけども。いかんせんニートなので将来性は無いが、遊びで付き合うくらいなら申し分ない相手なのだ。だけど、なんか鈍くさい。なんだか全身から「童貞臭」がするので、「ああモテないんだろうな」という感じがする。けど、だから、なんだかそこが可愛くて仕方がないのだ。付き合いたいとは思わないけど童貞は頂きたい、そんな気持ち。分かる?分かんないよね、私も何言ってんだか分かんないもん。仕事中に仕事してるふりして童貞の事考えてるのすごい背徳感~

そこで今回の疑問は、おそ松さんたちのような、決定的な理由は無いけどなんか決定的にモテない人たちは「モテないから童貞」なのか、「童貞だからモテない」のか、というオリジナリティしかない「卵が先か鶏が先か理論」のお話。

 

私の友達にもいる。別にかっこいいし超いいやつだし学歴等のスペックも申し分ないし話していても楽しいのになぜだか童貞だし、「ああなんとなく童貞って感じする」みたいな人。きっと高校まで男子校だったのか部活一筋だったのかで、あまり女性経験が無いまま大学に入学したのだろう。ここまでは何にもおかしくない。マジョリティ男子大学生である。ただその高校までで培った「純粋さ」を武器にするか仇とするかなのである。武器に出来た場合、純粋さは純粋なままその彼の強みに出来るが、仇としてしまった場合、どれだけこなれ感を演出したところでせっかくの純粋さが「鈍くささ」に変換されてしまうのだ。仇代表が6つ子の末弟トド松・通称トッティである。人一倍見た目にも気を使いコミュニケーション能力もあるが、そうやって「こなれ」を出してしまう事で、いざという時に「純粋だもんね~しょうがないよ~可愛い~」となるところを「は、鈍くさ、所詮童貞だな」となってしまうのである。トッティは(まあトッティに限らず6人全員だけど)バイトでも合コンでも上っ面ばかり気にして飾るから童貞臭いのだ。(けどそれがマックス可愛いからおばちゃんもう満点あげちゃう、という感じ)童貞は童貞らしく飾らず生きるのが一番モテるのだ。だからきっと6つ子で一番最初に童貞を卒業するのは、十四松みたいな子なのだ。十四松って言われてもピンとこないでしょう、おそ松さん見てちょ。ははは!トッティいらないぜ!

 

とどのつまり、モテないから童貞なのではないのだ。童貞を拗らせるからモテないのだ。ということで、この件に対する回答は、「童貞だからモテない」となる。童貞だからモテないという元も子もない極論。そして童貞だからモテない、から童貞、だからモテない…という童貞デフレスパイラル。世の童貞に幸あれ。

ただ私の上記の理論でいくと、高校から大学に上がる時の身のこなしが重要であるように思うのだが、そうなった場合、松野兄弟は高校までしか行っていないので、童貞を卒業するに於いて重要な過程をすっ飛ばしてニートになってしまったのである。そりゃあ拗らせもする。仕方ない。かわいい。尊い。

最終回を目前に、私はおそ松さんロスになって生きていくことが出来ないのではという不安にかられている。最終回最後の最後に十四松くんに「また会えマッスルマッスル!」とか言われたら涙しか出ない。言いそうなんだよな、つらいなあ

 

どうしよう、こんなに文を書く事でなにも生めなかったの辛すぎる。くっだらねえこと書いてごめんな、もっと頑張るよ。頑張りマッスルマッスル!ハッスルハッスル!

好きな本と乙一の優しさの話

意外や意外、私は実は結構本を読むのが好きなのだ。本を好きになったのは中学1年の頃だった。そこから今日まで本を読んできた中で、何冊かの「一生忘れないと言える衝撃を受けた作品」と、幾つかの「なぜかすごく心に響いた一節」がある。誰得みたいな話だけれど、そんな話を少しずつしていきたいと思っていたので、します。

 

乙一という作家さんがいる。きっと同世代なら中学の時に一度は流行った記憶があると思う。乙一山田悠介厨二病の時にハマりがちなのだ。中学の時はただただ厨二心をくすぐられて読んでいた乙一を、少し大人になった高校2年生の頃に、また読み始めた時期があった。その時に出会ったのが「失はれる物語」という短編集であった。私はこれを読んで初めて、乙一がこんなにも優しい文章を書く人だと知った。

その中に、「しあわせは子猫のかたち」という話が入っている。主人公が一人暮らしのはずの家で幽霊と同居するという設定自体は非常に乙一らしい作品だった。しかし幽霊と同居と言っても想像しがちなダークグレーな話ではなく、どちらかというと私はレモンイエローのような、丸みを帯びた温かな作品に思えた。

「確かに、世の中、絶望したくなるようなことはたくさんある。自分に目や耳がくっついていなければ、どんなにいいだろうと思ったこともある。でも、泣きたくなるくらい綺麗なものだって、たくさん、この世にはあった。」

この一文を読んだだけで私は、乙一が本当はとても優しい人だと知った。確かに彼の作風はホラーチックで時たまグロテスクで、そんなおどろおどろしいものであるのも事実だし、それが彼の魅力でもある。けれどただただ人が死んだり殺されたり恨まれたり、そんな作品は無いのだった。私も彼の作品を全て読んだわけではないので一概には言えないと思うが、殺されたり恨まれたりするのはいつも完全な悪役で、幽霊と同居したり頭の中の携帯電話が鳴ったり、それらは「ホラー」というよりは「ミステリアス」なのだった。普段ミステリーを読む時は背景にモスグリーンを感じるのだが、彼の場合そのミステリアスさの中にも、若草色やサーモンピンクのような、まるでいわさきちひろの作品のような色彩を感じる。彼の作品はいつも正しい人が正しい姿で物語を終えるのだと気付いた時、本当に優しい文を書く人はこういう事なんだなって思った。たまに目を背けたくなるような描写の根底に、報われるべき救われるべき人が然るべき生き方をする事が出来る優しさが絶対にあるのだ。

 

その優しさが蔓延る世界観なので、たまに行きすぎた優しさで残酷なことになってしまう事がある。そんなグロテスクさだったのだ。乙一の描く世界というのは。その短編集の中に、その本のタイトルである「失はれる物語」という話がある。事故で右腕以外の感覚を失い、体を動かすことはもちろん出来ず視覚や聴覚も失い、暗闇無音の世界を寝たきりで過ごさなければならない男の話である。ぜひ実際に読んで感じてほしいので皆まで言わないが、よく耳にする「優しさは時に残酷だ」とは少しベクトルの違う、「残酷な優しさってあるんだ」という感じだった。残酷だったりホラーものを読む時に思わず目を背けてしまう感覚ではなく、心が苦しくなって読み進めるのが辛くなる感覚。その感覚が、想像以上に私を優しい気持ちにさせた。行きすぎた優しさも全て、乙一自身の優しさがもたらしているのだろう。

 

世界は私達が考えている以上に優しさで溢れているのだと、私は乙一から知った。私の中で一番強く記憶に残っている「心に響いた一節」は、間違いなく「しあわせは子猫のかたち」のあの一節だと思う。あんなに優しい世界を、私は他に知らない。

 

こういうのを自己満足っていうんだろうな。あまりに実りのない読書感想文にも関わらず、今までで一番、書いてすっきりした。はあ~ちゃんと仕事しよ。今仕事中なんだよな実は。

ジェラピケ女の話

以前書いたように、私はジェラピケ女が苦手である。いや、単刀直入に、嫌いである。

何もジェラピケ全般が嫌いなわけでは無くて、むしろ割と可愛いと思っていて、じゃあ何が嫌いかというと、なんて言うのかな、嫌いというか、あのケツ見えそうなほど短くてモコモコしている鬼のパンツみたいなショートパンツ?(なんていうのあれ)と、一見ギプスかってくらいゴツい、これまたモコモコしたニーハイっぽい靴下のあのセットが理解できないのだ。そしてそれを好き好んで選ぶ女は、嫌いなのだ。

まあ100歩譲って、更に260000歩譲って、彼氏の家で着るのは分かる。可愛いとこ見せたいもんね、分かるよ。たださ、別に普段それ着なくてよくね?合宿で着なくてよくね?なんで?寒くね?短パンに靴下履くなら長ズボンに靴下履いた方がよくね?短パン履くほど暑いならモコモコさせるのやめなよ?てかなんで寝る為だけの装いに金かけるの?部屋着のくせに、それに例えばソースこぼしたり犬にかじられたりしたら大騒ぎするんでしょ?部屋着っつーのは部屋で快適に過ごす為の服じゃないの?そんでそのままコンビニでもツタヤでも行けるならともかく、外にすら出られないじゃん?普通に外で見られたら恥かしい格好じゃん?てかあのモコモコ靴下だと靴履けないじゃん?クロックス履くの?滑稽じゃない?室内で誰かに可愛いアピールする為に大枚はたいてるの?タイ米?ねえ?

(散々ボロクソ言ったけども、ジェラピケにもちゃんと袖と裾の付いたちゃんとした部屋着が売っている。それはもう文句なし100パー全力可愛いのだ。暖もとれるし外に出るにも恥ずかしいなりにちゃんとパジャマ感があるので見ていてみすぼらしくない。決してジェラピケの悪口を言いたいのではないのでゴメンそこは分かって?みたいな気持ち)

 

あのモコモコ短パンを普段使いしている人は、純粋に、なんで?まじで。

分かんないけど、私はスエットの方が楽だし短パン履くくらいならパンツで寝るんだけど、皆はそうじゃないの?普通に怖い。あとそのモコモコ短パンにモモヒキみたいな心もとないレギンス履くのも怖い。だからさ、わざわざレギンス履くなら長いズボン履こ?そんな頑張ってまでモコモコ短パン履きたいその発想が純粋に怖い。なんなんだよその鬼のパンツに対する執念は。前世鬼?親友の鬼の仇?彼氏の束縛がすごくて鬼のパンツしか着ちゃいけないんだ~とかなの?怖いよ。別れた方が良いよ。怖いばっか言ってるとまんじゅうこわいみたいになってくるけど、そんなんじゃなくて普通に怖いよ。

 

けどこれはもう感性の問題だから、ジェラピケ女子と私は一生分かり合えないんだろうな。別にジェラピケを着る人達が悪いだなんて思ってない。けど私の意見が間違っているとも思わない。どちらも間違っていない事というのは、純粋に合わない・理解が出来ない事なのだ。もう仕方がない。

ちなみに前に友達が出産した時に出産祝いにジェラピケのベビー服をあげたんだけど、これがまたもう爆発的に可愛くて、けどそれと同時に、こんな年齢からジェラピケ着て、将来ジェラピケ女子になってしまったらどうしよう、おばちゃん悲しいよ、って気分になった。

 

あと今日会議中暇すぎて気付いてしまったのだけれども、手の親指と人差し指の間の水かきのチョイ下の皮膚は、全皮膚の中でも1.2を争うスベスベの持ち主である。試して感じてみてちょ。

ボディクリームとハンドクリームの話

私には根本的な女子力というものが無く、化粧水も乳液も持っていないしトリートメントも使わないしなんならリンスとトリートメントとコンディショナーの違いも分からない。基本的にニベアの青缶を信頼し過信し、カサついた所は手でも顔でも身体でもなんなら痛んだ髪でも、青缶を塗りたくれば万事OKだと思っている。オシャレなブランドの、香料しか配合されてないんじゃないかそれで乾燥は防げるのかみたいな甘い香りのハンドクリームを持ち歩き、夜な夜なこれまたオシャレなブランドのボディバター(そもそもボディバターとボディクリームの違いはなんなのだ?)を大して乾燥すらしていないモチ肌に塗り、ジェラートピケを着て寝る(あとちなみに私はジェラピケを家で着る女が嫌いなのでそれはまた後ほど熱弁したい)ような、「女子オブ女子」に私は尊敬の念を抱く。

 

ちなみに私は重度の乾燥肌で、毎晩青缶を全身に塗りたくっても日中には肘がカサカサしている。そして女子力が欠如しているのでそのカサカサの肘に誕生日にもらった(自分じゃロクシタンなんて買うわけない)ハンドクリームを塗っている。私はその所作に何の疑問も抱いていなかった。抱くわけがなかった。しかし最近、どシンプルに

「え、今肘に塗った?それハンドクリームだよね?」

と言われた事で、「ハンドクリームを肘に塗るのは恥ずべき行為なのか」という疑念が降って湧いた。その件について考えるにつれて、この疑問はこのように変体した。

【肌1枚の皮で繋がっているのになぜ箇所によって使うものが変わるのか】

そりゃ、箇所によって敏感であったり使用してはならない成分があったりするのは理解できる。人間の体に生まれて23年生きたのだから、さすがに感じている。しかし、どの箇所も同じ成分で生成されているはずなのだ。必要な養分は同じであるはずなのだ。箇所によって得意不得意はあるかもしれない。けれどなにもベツモノを作らなければ補えないほどの違いはないと、私は思うのだ。

 

ところで私は中高時代、勉強が出来なかった。そもそも受験経験のない私は、勉強の仕方が分からなかったのである。なので、テスト勉強もあまりした記憶が無い。勉強をしないので、社会のような記憶を要とする、勉強しないと点に結びつかない科目はとにかく苦手だし嫌いだった。逆に、己のセンスで乗り切ることのできる国語は大得意だった。そして、勉強しなくても点が取れるから好きだった。今冷静に振り返ると、「勉強しなくても点が取れる」というのは、きっとセンスの問題だったのだと思う。私には国語のセンスがあったのだ。そして社会に関してはセンスがなかったのだ。加えて私は、走るのはまあまあ得意だったけど球技はてんでダメだった。これもセンスなのだ。

こうして人には、生まれ持った才能や、どうしたって相性の悪いものがある。けれど、私は社会が苦手だったけれど、学校は足並みを揃えた教育を施した。体育がバスケの日も嫌々参加したし、逆に国語の授業に苦手を理由に参加しなくていい人なんていなかった。得意な人も苦手な人もいっさいがっさい同じ教育を受けたのは、もちろんそれが学校という機関だからなのであるが、やろうと思えば出来るからという真意だってきっとある。どうしたって相性が悪い科目なりに、別メニューを組んで授業をしなければならないほどには出来なくないのだ。でなかったら、神奈川のそれなりな私立高校なんて通っていないのだ。みんな同じメニューで、同じ歩幅で頑張れるのだ。個人差はあれど、基盤は同じ偏差値なのだから。

 

話がぶっとんだけれど、肌だってそうだ。同じ素材で出来てるし、得意不得意はあるかもしれないけれどわざわざ違うクリームを塗らなければ保湿も保てないような落ちこぼれもいないのだ。肌はもっと自分に自信を持ったらいい。自ら逃げ道を作ってしまっているのだ。肌自身が弱いところを見せてしまうから、様々な部位のクリームが登場し、人々が困惑するのだ。これはもう大問題。戦争。憤怒

つまり今回の問いに対する自答は【肌が精神的に弱いから】である。私自身も、肌の自尊心と共に、女子力を高めていきたい。人は皆アウフヘーベンできるはずなのだ。

 

ほーら今回もまたくだらないことばっか書いて、肝心のジェラピケ女についての抗議文が書けなかったのだ。また後日書くね~!

なぜ学生はたかが部活に本気になれるのか

大学3年くらいからずっとこの事について考えていて(よくもこんな下らないことずっと考えるなあ)、最近自分なりに答えが出た気がしたので、そんな感じの話。

例えば私は箱根駅伝が好きなのだが、箱根選手の殆どが、箱根を走る為に練習を積んでいる。テレビではスター選手ばかりを特集するから箱根選手はみんな未来の事を見据えているような気がするけれど、そんな選手は一握りで、殆どの人が箱根(まあ出雲駅伝でもなんでもいいんだけども)駅伝を走るという夢を持って駅伝の為に命を懸けて練習している。実業団に入る人もオリンピックに出る人も一握りなのだ。(以上、私の偏見です。事実とは異なると思います。そこら辺はふわっと察して)
その大多数の方の選手は、言い方悪いけれども、たかが部活の為になぜ命を懸けて本気で取り組むことが出来るのか、そんな話。

駅伝選手だけでなく、世の中の殆どの学生が該当すると思うけども、部活を一生懸命頑張る美しい学生たち。そんな彼らについて考えた、そんな話。

私の好きな本の中にこんなセリフがある。
「陸上やってて9割がたが辛いんだ。嬉しい時なんてほとんどない。けどその少しの嬉しいが、全部の苦しいや悔しいに勝つんだよ。」
私はこの言葉がとても好きで、これが答えなのかなと私は思う。
過去に体験した1割の嬉しいや楽しいという感情を体と心が覚えていて、それがあまりに大きくて美しいものだと私たちは知っていて、それが9割の辛い事の後に待っていることも知っていて、だから、いつどんな形で訪れるか分からない「まだ見ぬ1割」の為に、1割が訪れる事を信じて、9割の辛い道を自ら選択するのである。しかも無意識に。
努力したって箱根駅伝には出られないかも知れない。例え出られた所で、箱根駅伝は1年のたった2日間だけで、その2日の為に残りの363日ずっと9割の人生を送らなければならない。それでも、箱根駅伝に出られたという1割の喜びがとてつもなく大きくて尊いと知っていて、今までの9割をすっかり忘れてしまうくらい報われると信じているから、その1割の喜びの為に9割に挑んでしまうのである。9割に命を懸けてしまうのである。1割ぽっちの喜びは、麻薬なのだ。

 

ところで先日、学生時代に入っていたサークルの追いコンがあって、後輩達の最後の雄姿を見届けてきた。4年間のサークル生活の中の何を9割と感じ何を1割と思うかは人それぞれだけど、私にとっての1割イベントの1つが、この追いコンだった。舞台に立って照らされて一段上から後輩や同期の顔を見た時に、今まで辛かったことが全部報われた気がして、「ああ私はこの景色の為に4年間サークルを続けたんだなあ」って感じたのを、後輩の雄姿を見て思い出て、上記のあのセリフを思い出した。4年間いつも辛かった気がするけど、なんかまあいっか~ってなったのを覚えている。そしてこの時「とっておきの1割」を体感してしまったから、これから先の人生のどこかでまた、無意識に9割に挑んでしまう時が来るのだろう。なんたって1割の時に見た景色があまりに絶景だったのを、私の体は覚えているのだ。そう思うとサークルを4年間続けたのだって、高校の時にあった「とっておきの1割」の事を体が覚えていたからなんだろうなあ。今ももしかしたら無意識に9割に挑んでいる最中なのかもしれない。こうやって人は生きているんだろうなあ。私も生きてる。すごい

3年間もぐだぐだ考えていた事に後輩の姿を見ただけで簡単に答えが出てしまったので、人の命を懸けて輝いている姿には大きなパワーがあるという事なのだ。薄っぺらいことを書いてしまった。

 

結局一番言いたいことは上手く言えなくて、語彙力が足りない。私は「オシリは1つなのか2つなのか」とか考えてる方がきっと向いている。

「僕が一番欲しかったもの」に登場する「素敵なもの」とは何なのか

さっきとても素敵なものを 拾って僕は喜んでいた

 

きっとまたこの先探してみれば もっと素敵なものが見つかるだろう 

 

 

「素敵なもの」を拾ったり譲ったり探したりする名曲、「僕が一番欲しかったもの」であるが、「素敵なもの」、「僕が一番欲しかったもの」を、最初から最後まで【曖昧】に描いている事が見て取れる。

拾った「素敵なもの」を人に譲ることでその人のくれた「笑顔」が、すなわち「僕が一番欲しかったもの」であるという。歌詞を見ても、「まあだろうな」と思う。まあそれはよいとして、根本、槇原敬之は「素敵なもの」は何だったのかを教えてはくれない。それこそ、「素敵なもの」なんて人それぞれで何を得たら嬉しいのか、何をそこまで欲しているのかなんて人の事まで分からない。私はその「曖昧さ」がとても好きだ。

 

ただ、「素敵なもの」においては曖昧さの中にヒントがあって、曖昧の中で輪郭が見えかけている。

まず、冒頭にも書いた「さっきとても素敵なものを拾って僕は喜んでいた」という歌詞である。ここから「素敵なもの」は「拾う事が出来るもの」すなわち物体であるということが読み取れ、更に「道端に落ちている事が珍しくなく、かつ拾ったら割と嬉しいもの」であると分かる。そして1番にも2番にも出てくる、他人にその拾得物を譲る描写。そこから、「拾って届けなくても罪にならないもの」であり「少なからずそれを欲している人がいて、善意で簡単に譲ることができるそこまで高価では無いものである」と推測できる。

そこから導き出される一番簡単な回答は「硬貨」である。純粋に素敵なものだし、割とコンスタントに道端に落ちているものである。1000円札だとあまり人に譲りたくないし5000円札はさすがに理性が働いて届けてしまうかもしれないが、硬貨ならどれだけ高価でも(無意識に韻を踏んでしまった)500円であり、良心もあまり咎めないし必要な人がいるならば簡単に譲る気持ちも持てる。ここまでの考察で「硬貨」という答えに行きつくのは何の不自然さもない。

ここで発生する疑問は「1番と2番に出てくる素敵な物は同一のものなのか、違うものなのか」という点と、「そもそも1日に2つも上記の条件に当てはまるものを拾う事が出来る治安ガバガバな土地はあるのかあるとしたらどこなのか」という点である。

1点目は、1番のサビに「この先探していけばもっと素敵なものが見つかるだろう」とありその直後2番Aメロで素敵なものを実際見つけて拾っている。「もっと素敵なもの」が見つかったのだろう、と思う。一概には言えないし、もしかしたら1番で拾ったのは10円で2番は100円かもしれないが、そこには個人的にドラマ性を持たせたいので別なものであるとする。してもいいかな。

そして2点目であるが、ちなみに私は3年前、ベロベロに酔っぱらっていた時に道端で割と良さげなサングラスを拾ってかけて帰ってしまった事がある。そのまた同じ年に同じ場所で、道で居酒屋のトイレのサンダルを見つけたので靴もはかずに吐いている男性の横に置いてあげた経験もある。そのように様々な「なんか使えそうなもの」がバカスカ落ちている無法地帯を、私は知っている。言わずもがな、「高田馬場駅前ロータリー」である。あそこはすごい。いるものもいらないものも何でもある。鞄が持ち主ごと落ちているときだってある。そしておまけに馬場のロータリーにいる人間は基本的に心が優しい。落ちてるものは拾うがそれを譲る心もきっとある。死にそうな赤の他人の為に救急車を呼んであげるくらいなのだ。そこは、汚いくせに優しい世界なのだ。

 

とどのつまり名曲「僕が一番欲しかったもの」は、「高田馬場駅前ロータリーで硬貨であったり良さげなサングラスを拾っては人に譲ってあげる心優しい酔っ払いの話」である。10円100円のはした金をそこまで欲する人がいたのか、その程度のものを譲った時の笑顔が果たして「僕が一番欲しかったもの」なのか、細かく突き詰めていくにはまだまだ時間が必要なのでそれは今後時間をかけてきちんと行いたい。私はこの点に関しては徹底的に暴きたい。この熱意を仕事にぶつけたい。

 

ところで私は道尾秀介という作家がとても好きなのだが、その作家さんの「向日葵の咲かない夏」という作品がある。皆まで言わないが、この作品は私の中で「曖昧」を最もスマートに描いている作品で、加えて道尾秀介は「曖昧界のプロ」なのである。結末がきちんとあるのに、すっきりまとまっているのに、どこかに「もや」が残る、そんな描き方のプロなのだ、道尾大先生は。

 

つまり私は槇原敬之と共に、道尾秀介をこの世にオススメしたくてこんな長ったるくてくだらない文を書いたのである。そういうこともある。

わたしのこと、のこと

小学校2年生の時に、「お店やさんごっこ」を授業でやったことがある。営みたいお店を提案して、クラスで何店かお店を開き、他クラスが買いに来るというものだった。私のクラスではパン屋さんと花屋さんが人気で、クラスの中心的な子達はみんなどちらかのお店の店員さんになることを希望した。もちろん私の仲の良かった友達も皆どちらかの店員さんになっていた。そんな中私は「しおり屋さん」というニッチな事業に手を出し、ひと儲けを企てたのである。そこに勝算はあった。「実用的」だったからである。パンや花といっても新聞紙を丸めたり折り紙を切ったりしたものであり、言い方は悪いがそれらはいずれゴミになる。それは明白であり、そしてゴミにされるのが悔しかった。私は、少なくともパンや花よりもゴミにならずその上先生の検閲を通り抜ける真っ当な商売である自信があった。パン屋さんの子よりも良いものを作りたいだとかそんなライバル心ではなく、ただただ、自分が正しいと思った事に対しての結果が欲しかったし、成功する自信があった。そんなガメツく可愛げのない8歳児だったのである。

 

そんな8歳児だった私はそのまま23歳になった。他人に対する対抗心は微塵もないが自身に対するプライドだけは高く、自分で決断したことには確固たる自信がある。そんな泥臭い女に育ったのである。

友達も皆行くのに、家から徒歩20分なのに、「心理学を学びたい」という思い1つで都会のキャンパスに通う道を捨て、家から1時間半かかるド田舎キャンパスに通う事を選んでしまう。

人の上に立つ器でもないのになぜか気付いたら係長や委員長になってしまっている。

けれど、その選択にはなぜかいつも自信がある。クソ田舎キャンパスに通って良かったといずれ思う日が来る、器ではないなりに絶対にそのイベントや行事が成功する。そんな自信がなぜかいつもあった。

その自信の正体は、正体と言うにはあまりに曖昧なものであった。

 

たまに、不思議な感覚になる時がある。学生時代、何かに選出される選挙の時「これは選ばれる気がする」と感じたり就活の時に「この選考は通過するな」と確信を持ったり、なぜかどこからか湧き上がる確信みたいなものが、コンスタントにあった。そのふわっとした不思議な感覚が、私はきっと幼少期から備わっていたのだろう。

その感覚は、その確信は、たいがい当たっているから本当に不思議なもので、そしてこれは多くの人が体験したことのある「よくある不思議」なのではと思う。

 

その不思議な感覚を人格形成の支柱にしてしまったのである。この不思議な感覚を感じる以外の時は、いつも自信が無くて不安でブレブレなのに、コンスタントに「ゾーン」に入ることがある。

私は私の人格形成の中核であるにも関わらず、この感覚の正体を知らない。

「なんかいける気がする」の正体を、ここ2年くらいずっと探している。

 

そんな事を言いたいがための、見切り発車な文でした。